新潟をJ1へ導いた54歳の遅咲き監督 20年前から変わらないもの
20年前、誘われて行った焼き肉屋でのことだ。私は、所属していたJFL(日本フットボールリーグ)のチームのコーチに言われた。「お前が試合に出たって、おかしくない」。そんな思い出話を伝えると、J2アルビレックス新潟の松橋力蔵(りきぞう)監督は笑った。「今と同じこと言っているなあ」
松橋監督は現役引退直後で、指導者1年目。私は大卒新人だった。試合に絡めない若手に目をかけ、励ましてくれたのだ。
「練習生じゃないからな。もっと自信を持っていい」。優しさを感じた一方、どこか遠慮がちだった姿勢を見透かされた気がした。私は筋力トレーニングだけでなく、自主練習に夜の走り込みを加えた。ベンチ入りできるようになり、シーズン終了までに数試合出番を得られた。
今季、新潟は2試合を残して6年ぶりのJ1復帰を決めた。選手が入れ替わっても、丁寧にパスをつなぐ戦い方を高いレベルで発揮した。松橋監督は上位を快走する中で、「(成績は)チームの全員で積み上げたもの」と鼓舞していた。
高卒2年目のFW小見(こみ)洋太がリーグ中盤以降に活躍したのが好例だと思う。折を見て助言を送り、時に厳しく接し、選手を伸ばす。J1横浜F・マリノスのユース(高校年代)の監督を長く務め、多くのプロ選手を育てた。「りきさん」と親しまれ、育成年代では知られた存在だった。横浜マと新潟でトップチームのコーチを歴任。監督は初めてだったが、手腕は確かだった。
横浜マや京都などでプレーした元Jリーガーは54歳のいまも、締まった体形は現役の頃のままだ。「この1年で終わりたいとは思っていない」。遅咲き監督に、今後も期待したい。(勝見壮史)
●朝日新聞社
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