「ラッキーマンですよ、僕は(笑)」37歳千葉和彦の“笑顔”がアルビレックス新潟に必要だった理由〈6年ぶりのJ1昇格〉
Jリーグ屈指の集客力を誇るアルビレックス新潟が、6年ぶりのJ1昇格を決めた。
10月8日のJ2第40節ベガルタ仙台戦。本拠地デンカビッグスワンスタジアムに詰めかけた3万2979人の声援を背に、選手たちは果敢な戦いを見せて3-0と仙台を完封。リーグ戦をまだ2試合残した状況での、圧巻の昇格劇だった。
試合後、ピッチでは“恒例行事”が行われた。
松橋力蔵監督がMF松田詠太郎をボウリングの球に見立ててセンターサークルに投げ込むと、前転を繰り返した松田はピンに見立てた選手たちのもとへ。次々と倒れていく中、最後は残った5人が白いTシャツの裏に仕込んだ『祝・J・1・昇・格』の文字を披露する。昇格を祝う特別バージョンにサポーターは大喜びだった。
今やすっかりお馴染みとなっている勝利後のパフォーマンスは、クラブとサポーターの絆を深める演出だ。これは37歳DF千葉和彦の発案、総指揮によるものである。
劇的な決勝弾に興奮、自らボウリングの球に
今シーズンの快進撃を象徴するパフォーマンスが生まれたのは、5月8日のJ2第15節・東京ヴェルディ戦。3-0のリードから同点に追いつかれるも、88分に途中投入されたFW矢村健が劇的な決勝弾を叩き込んで勝利を収めた試合だった。
ベンチに座ったまま試合を終えた千葉は、「展開が劇的すぎて興奮してそのまま勢いでやった」とその瞬間を振り返る。
メンバー全員をピッチに集めた千葉は、その場で急遽パフォーマンスの打ち合わせを敢行。そこで提案したのが、かつてサンフレッチェ広島時代に仲間と披露していたボウリングパフォーマンスだった。
同じくムードメーカー的存在のGK阿部航斗(25歳)が“ピン役”を買って出ると、殊勲者の矢村が“投球者”となり、自ら“ボウリングの球”に扮した千葉を投げた。選手たちの笑顔はやがてサポーターにも広がり、この日から勝利の後のお楽しみになった。
それ以降、千葉は“ボウリング”に留まらず、魚釣りや狩猟などサポーターを飽きさせないパフォーマンスを次々と考案していった。思い出深いのは高木善朗(29歳)が長期離脱となった次の試合で、ピッチの真ん中に全員で高木の背番号である「33」を作り出したこと。チームの大黒柱である高木の負傷で動揺するサポーターへのメッセージだったのだ。
そして、新潟にとって新たな歴史の1ページを紡いだ仙台戦が初心に返るボウリングパフォーマンスだったこともエンターテイナーらしい憎い演出だった。
千葉の明るいキャラクターはJリーグファンには認知されているだろう。だが、底抜けの明るさの裏には、知られざる苦労がある。
三重県・日生学園第二高校(現・青山高校)を卒業した千葉のもとにJリーグからのオファーは届かなかったが、プロサッカー選手になる夢を叶えるべく単身でオランダへ。テスト入団を経て加入した2部クラブでアマチュア選手としてキャリアをスタートさせた。2年間のプレーを終えて帰国した2005年に新潟の練習に参加。そこで反町康治監督(当時)の目に留まり、同年の8月に正式契約に漕ぎ着けたという異色の経歴の持ち主でもある。
これまで新潟を含め3つのクラブで活躍してきたが、怪我やポジション争いに打ち勝てず、不遇の時を過ごしたことは何度もある。J1昇格に貢献した今シーズンも決して順風満帆ではなかった。
古巣・新潟に完全移籍を果たした昨季は、アルベルト・プッチ・オルトネダ監督(現・FC東京監督)の信頼を掴み、39試合でスタメン出場。うち38試合フル出場とチームの主軸として過ごしたが、今季は24試合とベンチを温める機会も少し増えた。しかし、それでも千葉のスタンスは一切変わらない。
「自分が試合に出ようが出まいが、周りを笑顔にするために振る舞えるのが僕の良さであり、武器だと思っている。自分はあくまでチームの勝利のために働く1つの駒であるし、チーム全体の歯車がうまく回るように立ち振る舞いたいと常に思っているんです」
その考えの根本には『笑う門には福来たる』という言葉がある。
「必ずおこぼれが来るんですよ(笑)」
「ベンチ外、試合に出られていないときは、当然プロとしての悔しさはあります。でも、自分がいざ試合に出るとなった時に、チームの調子がいい方がいいじゃないですか。『あいつが調子いいと自分が試合に出られなくなる』というマインドではなく、みんなの調子が良ければ、チャンスが巡ってきた時にストロング(長所)を出しやすい環境になっている方がいい。ちょっとパスミスをしても周りの調子が良ければ(パスは)通るし、(味方が)チャンスに変えてくれる。みんなの動きが良くて、全員で守ってくれれば自分の負担も減る。めぐりめぐって自分にプラスに返ってくる。そういうマインドで生活をしていたら、必ずどこかでおこぼれが来るんですよ(笑)」
ただ、「だいぶ時間はかかりました」と話すように、プロとして歩み始めた頃から現在の境地に到達していたわけではない。転機は2012年から7年間在籍した広島での経験だった。
下部組織から昇格した槙野智章(現・ヴィッセル神戸)や柏木陽介(現・FC岐阜)を中心にゴールパフォーマンスなどが話題を集め、「サンフレ劇場」としてよく取り上げられていた頃。千葉が広島に加わった時は槙野も柏木もいなかったが、森脇良太(現・愛媛FC)がそれを引き継いでいた。昔から人を笑わせることが好きだった千葉に、森脇や佐藤寿人らチームメイトが目をつけたのだ。
「いつものようにチームを盛り上げるためにおちゃらけていたら、森脇が『千葉ちゃん、こんなに面白いんだから、サポーターにもやれば喜ぶよ! 』と言ってくれて。寿人さんや(高萩)洋次郎(現・栃木SC)も『いいね、いいね、もっとみんなの前でやった方がいいよ! 』と言ってくれたのがきっかけですね。森脇と一緒になってサポーターの前でやったら、スタンドからたくさんの笑顔が見えたんです。
今までは自分が上手くなればいいとか、ステップアップできればいいと思っていたけど、自分がみんなの前で明るく振る舞うことで人に何かを与えられるんだと世界が広がりました。自分がやる行動に対してポジティブに受け入れて、武器として褒めてくれたのが広島でした」
広島時代は千葉にとっても大きな飛躍を遂げる時間だった。12年、13年、15年と3度のJ1優勝を経験している。
「頂点に立つまでは『俺、結構チームに貢献しているな』と思っていたのですが、いざ優勝して、みんなが喜んでいる姿を見ると、自分が周りの人たちによって助けられ、生かされていたと気づいたんです。それに広島サポーターの方々から『おめでとう』ではなく、『ありがとう』と言われて、それが凄く嬉しくて……もっと人に尽くさないといけないと強く思うようになった。自分の行動は最終的に自分に返ってくるんだと」
話題を呼んだ「二十歳の千葉グッズ」
19年から在籍した名古屋グランパスでは、プロ1年目以来となるリーグ戦不出場を経験。2シーズンでリーグ戦はわずか1試合のみの出場に終わったが、それでも腐ることなく、風間八宏監督のもとで持ち前のキック精度を生かしてビルドアップ能力をコツコツと磨いた。
どんな時も明るく振る舞い続ける千葉の姿はチームメイトやサポーターにも届き、若き日の1枚の写真をイジられた『二十歳の千葉グッズ』なるものも誕生している。
控え選手がそこまでフィーチャーされるのは、稀有な例だと言っていい。
新潟復帰1年目は名古屋時代に磨いたビルドアップ力が奏功し、攻撃サッカーを掲げたアルベルト監督に重宝された。ただ、プレー面で充実していく一方で、苦しい時もチームを支え続けてきた選手とサポーターへのリスペクトの念が彼を自制させていた。
「自分が帰ってくることができたのはゴメス(堀米悠斗)、(早川)史哉、ヨシ(高木)たちがずっとアルビレックスを守ってきてくれたからこそ。自分は彼らが積み重ねてきたものに乗っかっただけ。だからこそ、1年目や今季の始まりは出過ぎないようにしていました」
そんな思いが、劇的な形でホーム7連勝記録を樹立した東京ヴェルディ戦で爆発した。当時は「試合後の渋滞緩和を考えてやりました」とごまかしたが、それは常にチーム、サポーターのことを第一に考える千葉らしい振る舞いだった。
「もちろん、どの試合も全員がハッピーなわけじゃないと思うんですよ。だから、そこは選手それぞれの表情や態度を見ながらアプローチはしています。でも、今年はみんながんばったし、みんなが戦力で活躍した。出られない選手もいるし、実際に自分も出られない時もあった。でも、みんなでJ1昇格、J2優勝に向かってポジティブな雰囲気を崩さなかったことは大きかったですし、自分の言動をポジティブに捉えてくれる選手ばかりなのは本当に嬉しい。
若手の(秋山)裕紀や小見(洋太)も本当に成長した。よく考えると僕は本当に幸せ者ですね。広島からずっとこのマインドでやり続けてきたからこそ、こういう運命に巡り合わせてもらっているのかなと思います。ラッキーマンですよ、僕は(笑)」
「円陣の時に、ホームラン打つぞって(笑)」
本人は謙遜するが、その“ラッキー”を運んできたのは、紛れもなく千葉自身だと筆者は思う。J1昇格を決めた仙台戦でも、キックオフ前に大きな仕事をしていたことを後輩たちは見ている。
「今日も円陣の時にいきなり『みんなバッターボックスに立ったんだから、ホームラン打つぞ』って(野球漫画の)ROOKIESみたいなことを言うんです(笑)。ちょっと緊張していたみんながいい意味でほぐれました。みんな千葉さんの思いや人間性をわかっているからこそ、言葉が入ってくるんです」(MF高宇洋)
「千葉さんの雰囲気づくりは、僕のように試合経験の少ない若手は本当に助かっています。ピッチ内でもピッチ外でもみんなをよく見てくれていますし、千葉さんがいる安心感は本当に凄いです」(FW小見)
30代半ばに差し掛かったタイミングでプロ人生をスタートさせた古巣に戻ってきた。相当の覚悟があったはずだが、千葉はその類の言葉を一切発していない。
「よく『覚悟をもって戻ってきました』と言いますが、それは自分にとって似合わない言葉。どんな状況であろうと、どんな場所であろうと、常にサッカーを楽しみ、自分が楽しんでいる姿をお客さんに見てもらって、さらに楽しんでもらいたい。自分の行動でファンやサポーターの皆さんを楽しませたい。本当に笑顔にすることしか考えていないんです」
アルビレックス躍進に千葉和彦あり。新潟にかかわる全員がそう思っている。
ただ、稀代のエンターテイナーはどうやらまだ満足はしていないようだ。残り2試合、悲願のJ2優勝に向けて、引き続きピッチ内外のパフォーマンスに奮闘するはずである。
10月23日のホームでのJ2リーグ最終戦、どんなパフォーマンスが見られるか。また新潟のみんなを笑顔にする。
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