“J1出場ゼロ&代表歴なし”でもベルギー名門から1.6億円超オファー…164cm本間至恩(21)は何がスゴい? 新潟との「幸せな別れ」とは #3
Jデビュー戦では決勝ゴール
翌年も2種登録が継続され、18年7月末にトップチーム昇格内定を発表。9月15日のJ2第33節ツエーゲン金沢戦でJリーグ初出場を果たすと、アディショナルタイムにチームを救う決勝点を奪う活躍を見せた。
プロ1年目の19年は左サイドハーフでJ2リーグ28試合出場(スタメン8試合)、2年目の20年にはレギュラーの座を掴み、リーグ40試合(スタメン30試合)で7ゴール7アシストと大活躍した。
そして昨季はアルベルト・プッチ監督(現・FC東京)のもとで重要なキーマンとなった。4-2-3-1の左サイドハーフでビルドアップの帰着点となり、高速カットインと縦突破を駆使してチャンスを量産。同シーズンから強化部に就任した本間勲も、「(プロになってからは)止まっている時間が多いように感じていた」と言いながらも、「アルベルト監督になってから中盤でボールを受けて前に運ぶプレーも出るようになった」と目を細めるほどの成長をみせ、ユース時代からの目立った情報収集力と処理能力の高さに磨きをかけていった。
直前で判断を変えられる頭脳とクイックネスのドリブルは、「わかっていても止められない」と恐れられる唯一無二の武器になった。
そんなドリブラーをJ1のクラブが放っておくはずがない。オフや移籍市場が開くたびに移籍の噂があとをたたなかったが、本間はそれを一切見向きもせず、生まれ育った“新潟”でのプレーを選択し続けた。
そしてプロ4年目の22年7月、満を辞して夢の海外移籍を決断した。現在チームはJ1昇格争いの中心におり、このタイミングでの放出はクラブとしてもサポーターとしても痛手であることは間違いない。しかし、彼がこれまで貫いてきた新潟愛を何よりも知っているからこそ、誰もこの決断に異を唱えなかった。
むしろ、億を超える多額の移籍金だけでなく、ジュニアユースから新潟に所属していた本間は移籍の際に発生する育成フィーもほぼほぼ満額でクラブに残した。この先ステップアップをした場合は、さらにプロ3年半分の育成フィーも加わる可能性もある。
まさに愛するクラブに恩返しをした“孝行息子”の旅立ち。新潟にとっても、積み上げてきたものの価値を証明する「幸せな別れ」なのだ。
「観客が見ていて、僕のプレーでワクワクしてくれるようなプレーをしたい」
あどけなさを残していた少年が、真っ直ぐな瞳をこちらに向けながら語った言葉は現実のものになった。「新潟の至宝」が「日本の至宝」になるために、新しい挑戦が始まる。
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